2015年御翼11月号その3

幕府による禁教令と鎖国の意味

  

 天体の異変が科学的、天文学的にどういう異変として起こるのか考察すべきではない。明らかなのは、それが、世界が大パニックになるような大災害だということである。世の終りは、新天地の出現、即ち神の国の完成、救いの完成のときであるから、歴史の素晴らしい目標でもある。
 シューラー博士は、「全人類は核戦争によって絶滅し、それが終末となる、と唱える人がいるが、終末がそんな残酷な方法で訪れるとは思っていない」と語っていた。確かにこの部分は、諸国民が不安になるとあるだけで、人類が残忍な方法で絶滅してから終末が来るとは書かれていない。
 そして終末には、宇宙的終末と個人的終末がある。宇宙的とは、キリストが再臨して神の国が完成するとき、個人的終末とは、ひとりの人間として誰もが迎える終末、死の問題である。どちらの視野に立っても、究極の希望はイエス様と出会うということである。従って、大切なことは、宇宙規模の終末が来る前に、普段の生活、あるいは歴史上の出来事をみて、心を神に向け、キリストを受け入れることである。すると、人生に希望、慰め、励まし、勇気、力、喜び、忍耐が与えられる。

 江戸幕府は鎖国をしたが、初代将軍・徳川家康(一五四三〜一六一六)は目を海外に向けており、特に英国と国交を樹立させている(一六一三年)。幕府が鎖国政策を開始するのはその10年後(家康の死後)である。家康が幕府を創設(一六〇三年)した頃は、ルターの宗教改革(一五一七年)から一世紀近くたっているにも関わらず、プロテスタントの存在は日本人には知らされていなかった。そして、カトリック国スペインやポルトガルは教皇の許可を得て、世界に植民地を作っていた。日本にもザビエルがカトリックを持ち込んで以来(一五四九)、宣教師がぞくぞくとやってきてキリシタンの数は30万人にまで達していた。このままでは、日本のカトリック国の植民地になりかねないという懸念を抱く中、プロテスタント国である英国とオランダが、布教はしない、貿易だけを望むと、やってきたのだ。実に、家康はプロテスタントの存在を知った初めての日本人の一人なのだ。
 カトリックによる侵略を恐れた家康は、カトリック弾圧を始める。すると、カトリックの宣教師や信徒たちは、カトリックの影響を受けていると言われた豊臣秀頼のいる大阪城へ逃げ込んだ。家康が禁止したのはカトリックであって、キリスト教そのものを迫害したのではない。そして、豊臣家を滅亡させようと仕掛けた大阪の陣で家康が大阪城を責めるとき、軍事支援をしたのが英国である。大阪の陣は、カトリック国対プロテスタント国の代理戦争とも言えるのだ。家康は英国から仕入れた射程距離の長いカルバリン砲を使い、短時間で勝利する(歴史では、大阪夏の陣で徳川が勝利した1615年の翌年、家康は死去したことになっているが、堺市・南宗寺(なんしゅうじ)には、家康が大阪夏の陣で敵から逃げる際に駕籠(かご)ごと槍で刺され、間もなく死亡したという言い伝えがある)。
 軍事支援も受けて、布教をしない英国までも、幕府はやがて国交を絶つのは、当時英国は、日本人奴隷を買い取ったうえ(人身売買)、浪人を雇い傭兵として使っていたからである。英国船は日本の近海で、スペインやポルトガルの船に対し、海賊行為をしていたが、その海賊には日本人傭兵もいた。日本人が海外の紛争に巻き込まれる恐れがあるので、日本の印象を悪くさせないように、幕府は英国に海賊行為を禁止させた。更に、各地の大名が諸外国から鉛の銃弾を購入していたため、幕府は全面的に鎖国をする。鎖国は、表向きキリスト教弾圧、実質的には武器弾薬の統制だったのだ。鎖国により英国も締め出した後、英国は力をつけ、世界各国に植民地を作り始めた。
 家康なくして、日本は南米やフィリピン、ベトナムのように、カトリック国の植民地となっていたかもしれない。あるいは、幕府の鎖国がなければ、日本は英国の植民地となっていたであろう。戦国時代は、国中を恐怖に陥れる。実際、家康も剣に倒れている。そんな歴史の中にも、神の主権は存在し、悪い状況からも神は善を生み出してくださる。私たちは恐ろしい出来事を通しても、神に心を向け、終末、キリストの再臨に備えよう。

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